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Sequentia (=続唱)> 

「真実のじぶんが花開けば、世界が変わる!」

21世紀は「いのちの時代」と言われています。

このサイトは、何らかの導きによってここにたどり着いたであろうあなたが、いのちの時代を生き抜くためのヒントを「体験の語りを紡ぐ」形でお伝えするものです。

Thinking of yourself as a soul on Earth, what is your mission and in what way do you think one person can make the world a better place?  

(あなた自身を地球上の魂と考えて、あなたの使命とどのような方法で、 ひとりの人間が世界をより佳くできると思いますか?)

わたしはこの問いに答え続けること、つまりそれは、ひとり一人がすることができる<Sequentia>(セクエンツィア=続唱:ラテン語)ではないかと思うのです。

地球という「世界」から受け取った恵みに感謝し、それに対して生きるという行動をもって応え続けること。

それはまさに、その問いに応え続けようとする、まるで「歌垣」のようなわたし達からの応答に他なりません。

ですから、わたし達が生きるということは、じぶん自身がすべきことを自覚して、そこに託されたことを実行すること、つまりじぶんを花開かせる(じぶんになるという)ことです。

Sequentia(セクエンツィア=続唱=問いかけに続けて歌われる応答に似たじぶんからの行為のこと)と言えるのではないでしょうか?

応えていくのは、じぶん自身の真実から出た選択ですから、これは能動的な態度と言えます。

セクエンツィア (ラテン語/ Sequentia) はキリスト教聖歌の曲種の一つ。主なる聖歌に続けて歌われる、ラテン語の聖歌の事を指す。和訳では「続唱」。)

「されば・・・今日この日をよく生きよ!」

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今日この日を見よ、それこそが人生、人生の最良のもの

その束の間にあらゆる現実と真実がある

成長の喜び、

行動の輝き、

力の栄光。

昨日は記憶にすぎず、

明日は空想にすぎぬ。

だが今日をよく生きれば全ての昨日は幸福な記憶となり、

しべての明日は希望の後継となる。

されば、今日この日をよく生きよ。

                  「サンスクリットの讃歌」

同じように、、、

かの分析心理学者であるC・ユングの言葉を借りますとーーーー

『ーーーー誰かが問題を抱えているとする。その人に問題があるという事はじぶんに問題があるのではないか、もしこの世の中をより良い場所にしたいならまず、我が家から、自分自身の心の庭から始めなければならないーーーー』

と言う事になるかもしれません、

ひとは、今ある世界の捉え方を見直すこと(つまり、関心の矛先を他者にではなく、まず足元つまり自分自身に向けてみる)で、生きることに更なる発見をし歩き続け流ことができます。

よく考えてみると、

わたし達は生まれてきた時すでに、この世界からあらゆるものを受け取る(受動)ということからスタートしています。

生まれた瞬間からわたし達はすでに様々なものを受け取っており、それをどう生かし、それを活用してどのように生きていくか、この世にどう働きかけるのかということが、その使命としてあります。

(例えば、じぶんの名前もじぶん以外の誰かから<多くの場合親から>の人生お初のプレゼントですから)

要するに、生きるということを通してこの世界にどのように関わり、どのように世界をよりよくしていくのかという大きな課題をすでに背負って生まれてきています。

ところが、

わたし達は、どうやら目の前の現実(つまり現象)を正しく理解していそうにありません。

現象はあくまで立ちあらわれた事象に過ぎません。

人間の歴史において、近代以降の自然科学は「もの」の世界の理解という意味で、大きな発展を遂げてきています。それは否定しようがないでしょう。

確かにそうしたことの恩恵にわたし達はどっぷりと浸かり、それを「幸せ」や「不幸」としてきましたが、

いくらその認識が進化したところで、わたし達が心から幸せと思う世界になったかというと、どうもそうでもなさそうです。

つまり、ものの世界にどっぷりとつかった世界観からは、それらが持つ本質的な意味を見いだすことはできなさそうだという認識が心の奥底にあるからこそ、何か物足りなさを漂わせているということになりそうです。

確かに、あれでもないこれでもない、、、何かわからないけれど何か違うような気がするという体験は、誰もが一度くらいは体験していることでしょう。

だからこそ、たくさんの資産を持ちながらいまひとつ満足できずに人生を憂いているリッチパーソンズも多いこと、何をしても満足なポイントには到達できない感じがすることなど、あなたも薄々気づいているのではないかと思います。

その物足りなさはどこから来ているのか、そして何が認識から抜け落ちているのか、、、と。

困難に遭遇した時には、それを生み出した背景やそれがもたらされた要因や原因があるはずだとわたしは若い頃からずっと思ってきました。

それは、現象をどう捉えるかというものの見方、わたし達に身についてしまっている過去から継続されてきた「認識様式」でこの世界を見ているからではないのか、と気づき始めたのはいつ頃だったのでしょう?

わたし達は多くの場合、子どもの頃に教え込まれている偏ったそして頑なな考え方を捨てることに抵抗があります。

しかし、より実感を持って生きることを手に入れたいのでしたら、その古い考え方(これはあなたのせいではないのですが)を組み立て直し、新しい視点を受け入れなくてはなりません。

それを書き換えることによって、わたし達の「視点」はより一歩前にブラッシュアップ、つまり洗練されていきます。

このサイトにたどり着いたあなたに一つのお願いがあります。

それは、今までとは異なった角度から物事を見て欲しいということです。

そして、わたし達がこの世界ででうことは、わたし達の中に潜んでいるものを映し出していると言う事を知って欲しいのです。

この考え方は決して新しいものではなく、ギリシャ哲学思想やルネッサンスのヘルメス学の中で見られるものなのです。

ですので、今まで限られた視点でのみ物事を捉えてきたことをそろそろ卒業して、物事の全体像を見る方法を身につけて欲しいのです。(特にユング心理学では、こうした全体性を考えており、『心のあらゆる次元に位置を与えることで、心のバランス、健全さ、並行が保たれるには心の無為恣意的な次元をも認識統合されなければならない』ということを言っています。)

それは、自分のこだわりによって見える風景を限定していたことから解き放たれ、その視野の中にあるすべてのものを自分の中に流れ込ませるということです。

あなたも、そこから見える世界をご一緒に楽しみませんか?

そう、見えることを楽しむだけでいいんです。

何かをつかもうとか、手に入れようとか思わないことです。

あなたが見たこと、感じたこと、一瞬でも感じた理解を起きるがままにさせるコツさえつかめば、そうした風景はあなたのところに流れ込んでできて、特段の努力なしに新しい理解を得ることができるのです。

そして、最後にはちゃんと新しい輪郭がきちんと知識としてあたなに訪れ、あなたの人生をより良いもの(最適化)としてくれます。

ところで、少し話は飛躍するのですが・・・

中国の考え方にご存知の「太極図」があります。

そこには、下の図のように両極が、そしてそれぞれの中にも両極が存在して全体を示しています。

上の図から解ることは、「陰」があるためには「陽」の存在が必要な訳です。

この両方で一つの世界が形成されるわけで、全体性は上の図のようなものと捉えることができます。

つまり・・・

じぶん自身の本質を認識するのに必要な大切な存在とは、、、

実は「他者」(わたしでないもの)なのです。

しかも、それぞれの中に

陰の中には陽が、陽の中には陰が記されているように、

「わたし=自己」が生まれるためには、同時に「わたしでないもの=他者」も生み出されることが必要だと言っているのです。

なぜなら、「わたし」と「わたしでないもの」を区別することによって、初めてじぶん自身を「わたし」と認識することができるからです。

その意味で、わたしはこれまで「他者」との間に生じた、軋轢や差異への不全感やいろいろな体験を通して感じたこと、

それから、知ったこと出会ったことなどなどを通して、特に沖縄との出会いを通じて、

他ならぬじぶん自身の真実を探し続けてきたのだと言えます。

それはじぶん自身の本質(=真実=要するにじぶんの「霊性」=真の自我)に迫ろうとする野望と言えなくもないのですが、

そこに辿りつくということは、預金通帳の桁数が増えていくことよりも本当の「しあわせ」と言えそうな気持ちでいます。

このサイトではそんなわたしの「体験の語り」を紡いでいます。

ーーあなたの進むべき道(真実)についてーー

あなたの魂にたくさんの窓を持ちなさい

宇宙の栄光のすべてが魂を輝かすことができるように、

たった一つの教義のための小さな窓では

数え切れない源から照らすまばゆい光は捉えられないのだから。

盲信というブラインドは取り外し、

真実そのもののように広大で天ほども高く

偏見を持たない窓から光が降り注ぐように。

星が奏でる静寂の音楽と自然の声に耳を傾けなさい。

するとあなたの心は真実と善に向かうだろう

まるで植物が太陽にその顔を向けるように。

何千もの見えない手があなたに向かって伸び

平和を冠にいただいた彼らのいる高みへとあなたを連れて行くだろう。

そして大空はその力の全てであなたを強くしてくれるだろう。

恐れずに、中途半端な真実は棄て去り、完全な真実だけを掴み取りなさい。

                   L・W・トライン

高千穂「国見ヶ丘」から望む雲海

「SHIZUEMIZUNO.com」は、一切の政治・思想団体、宗教団体とは関係ありません。また、わたしがご提供するセッション等は医療行為ではなく、その効果については個人的なご感想であり、それを保証するものではありません