「福を呼ぶ文字処Scye(サイ)」のHPへようこそ!

 

『あなた自身を地球上の魂と考えて、 あなたの使命とどのような方法で、 ひとりの人間が世界をより佳くできると思いますか?』

この問いかけに・・・

わたしは、

「名前」❌「文字」

という方法で応えます。

大いなるものに生かされ日々を営みながら、次世代へとつなぎ、

感謝と、未来の安寧と幸福を願う祈りを言葉に込めてことほぐ。

その心を、「名前」の音の持つ力を「文字」というカタチとして落とし込む

それが本質に触れる力を産み出していく。

  黄金律 

 21世紀は「いのちの時代」 

と言われる今だからこそ、そうした意識を取り戻すことが必要とされるのです。

先人達は次のように言います。

『されば、今日をよく生きよ!』

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今日この日を見よ、それこそが人生、人生の最良のもの

その束の間にあらゆる現実と真実がある

成長の喜び、

行動の輝き、

力の栄光。

昨日は記憶にすぎず、

明日は空想にすぎぬ。

だが今日をよく生きれば全ての昨日は幸福な記憶となり、

すべての明日は希望の後継となる。

されば、今日この日をよく生きよ。

                  「サンスクリットの讃歌」

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同じように、

かの分析心理学者であるC・ユングの言葉を借りますとーーーー

『・・・もしこの世の中をより良い場所にしたいなら      まず、我が家から、自分自身の心の庭から始めなければならない・・・』

 

と言う事になるのかもしれません。

人生はTakeから始まっている!

 

わたし達は生まれてきた時すでに、この世界からあらゆるものをTakeつまり得る(受け取る・受動)ということからスタートしています。

よくGive and Takeという言い方がされます。

それは、まずGive 与えよ、そしてからTake 得なさい ということのようですが、、、

実のところ、

生まれた瞬間からわたし達はすでに様々なものを受け取っています

つまり、Give and Take ではなく、生まれた瞬間から既に Take  の状態になっていて、それが先行しているのです。

つまり、何もないところに生まれ出ているわけではなくて、既に全てが与えられたこの世界に生を受けているというわけです。

まず、Take(これを異なる言い方をすれば、had Givenでしょうか)が先手でわたし達の生はスタートしていることは、間違いありません。

ですので、

それをどう生かし、それを活用してどのように生きていくか、この世にどう働きかけるのかということが、この人生を生きる責任としてあります。

(思えば、じぶんの名前もじぶん以外の誰かから(多くの場合親から)の人生お初のプレゼントです・・・)

すでにすべてを手にしていることを忘れ去って生きているのが、わたし達です。

要するに、『生きるということを通してこの世界にどのように関わり、どのように世界をより佳くしていくのか』という大きな課題は、わたし達が生きることを通して取り組むという使命に直結しています。

しかし、わたし達はそれをすっかり忘れていて、

いつも手に入れる(Take、あるいは In putする)コトばかりを考えているのが大方ではないでしょうか?(わたしもずっとそうでした)

「Take」 から 「Give」 へ

もし今日をよく生きたいのであれば、いただいているモノ、あるいはコトに対してつまり自分の置かれた環境に対して、何らかのお返し(感謝、新価値を産み出すなど)アクションを起こすことでバランスを取れば、ただ与えられているのではなく、相互関係は対等になります。

人間の歴史において、近代以降の自然科学は「もの」の世界の理解という意味で、大きな発展を遂げてきています。それは否定しようがないでしょう。

確かにそうしたことの恩恵にわたし達はどっぷりと浸かり、それを「幸せ」や「豊かさ」としてきましたが、

いくら取り巻く社会が発展したところで、わたし達が心から幸せと思う風景になったかというと、どうもそうでもなさそうです。

つまり、ものの世界にどっぷりとつかった世界観からは、それらが持つ本質的な意味を見いだすことはできなさそうだという認識が心の奥底にあるからこそ、何か物足りなさを漂わせているということにつながっていそうです。

確かに、あれでもないこれでもない、、、何かわからないけれど何か違うような気がするという体験は、誰もが一度くらいは体験していることでしょう。

だからこそ、たくさんの資産を持ちながらいまひとつ満足できずに人生を憂いているリッチパーソンズも多いこと、何をしても満足できるポイントには到達できない感じがすることや、たくさんのセミナーに通いながらも、何一つモノにならないということに、あなたも薄々気づいているのではないかと思います。

その物足りなさはどこから来ているのか、そして何が認識から抜け落ちているのか、、、と。

困難に遭遇した時には、それを生み出した背景にある何であるのかについて、わたしは若い頃からずっと気になってきました。(因果ということではなく、何か歯車がかみ合わないことをしているのではないかという不全感とでもいいましょうか、そこには認めたくないけれど、ただただ与えられてきていることを良しとしている自分がいることも無意識に感じていました。)

それは、現象をどう捉えるかというものの見方、わたし達に身についてしまっている過去から継続されてきた「認識様式」縛られたままこの世界を見ているからではないのか、と気づき始めたのはいつ頃だったでしょう?

より実感を持って生きることを手に入れたいのでしたら、その古い考え方(これはあなたのせいではないのですが)を組み立て直し、新しい視点を受け入れなくてはなりません

そしてそれを手に入れることによって、わたし達の「視点」はより一歩前にブラッシュアップ、つまり洗練されていきます。

なので、「視座」の転換が、今、求められているのです。

そのためにはどうしたらよいかということがまた大きく姿を現してきます。

「新しい視座」で見える世界を転換!

 

実は、わたし達は本当の世界が見えていないようなのです。

よく考えてみてください。

わたし達の視野には、およそ180度のこの目の前の風景が映って見えています。でも、この空間は、本当は360度に展開しているはずですよね。

そうです、

わたし達は常に「前側」しか見ることができていないのです。

えっ!「後ろ側だって振り返れば見えるじゃない?」

あなたはそうおっしゃるかもしれません。

でもね、振り返って見える風景はあくまでもじぶんの前側ですよね?そしてまた、後ろ側の空間は見えていない。

つまり、わたし達は常に、そして誰しもがこの世界の半分しか認識できていないのです。

この考え方は決して新しいものではなく、ギリシャ哲学思想ヘルメス学の文書中に既に見られるものです。

この思想については、わたし自身が自分の名前のことで悩み各学問を横断的に遍歴していた頃に、出会ったものでした。

左の図を見てください。

この形は、今の医療分野のシンボルともなっています。

2つのエネルギー(蛇に象徴)がお互いに絡み合っているこの図像は、皆さんもきっとご覧になったことがあるはずです。

この世はディアル(双対性)でできているということにも繋がっていくようなイメージですね。(このことについては次の「福を呼ぶ新しい視座」でご確認ください)

そこで、半分のじぶんではなく、「生きる」の全体性を取り戻すという大きな課題に、どう取り組んでいこうかというテーマがでてきます。

実は先人たちの神話の中に、その世界の見方についてのヒントを見つけることができます。

それが意識を転換する時のカギになっていきます。

そして、意識の転換をすることによって産まれてくるものは、、、といえば、

そう、つまり「能動性」です。

本来のあり方を認識する ✖️ 行動する

=じぶんらしく動ける(能動的になる)

ということになりますよね。

 

「福を呼ぶ文字処Scye」は、一切の政治・思想団体、宗教団体とは関係ありません。わたしがご提供するTENSYO及びコンサル/セッション等は医療行為ではなく、その効果については個人的なご感想であり、それを保証するものではありません。