手に入れるものは?

人には「前側」の風景しか見えない!

実は、わたし達は真実の世界が見えていないようなのです。

まずは空間認識そのものがそうです。

この世の見え方ということも本当の世界を見ていなさそうです。

ところが、

先ほどの「ドゴン族」の神話ではこんな風に世界を見ていることが記されています。

こちらの図は、「ノンモ」と言われるドゴン族の神話に出てくる、ドゾン族初元の存在と言われる像なのですが、

二つの体が背中合わせで一つになっている像です。

これが本来の「ひと」の姿だというのです。

そのようなことを語る哲学者もいますよ。(『その初め、ヒトは背中合わせで顔を二つ持っていたが、神はそれぞれを切り離し、背中を作った』)

それにしてもなんとも不思議な姿ですよね。

でも、よく考えてみれば、こうすれば「前側」も「後ろ側」も見えます。

もしこの視座を採用するのであれば、

わたし達は360度の視界を持つ存在となり、世界の全体を把握することができます。

クリシュナムルティも全体性を伝えています

よく考えてみてください。

わたし達の視野には、およそ180度のこの目の前の風景が映って見えています。でも、この空間は、本当は360度に展開しているはずですよね。

わたし自身を取り巻く「空間」そのものを・・・見回してみてください。

ね、全体として360度に存在しているでしょ?

ところが、わたし達は目の前のつまり「前側」しか見ることができていないのです。

「えっ!後ろ側だって振り返れば見えるじゃない?」 あなたはそうおっしゃるかもしれません。

でもね、振り返って見える風景はあくまでもじぶんの前側ですよね?

そしてまた、ほら、同じように、後ろ側の空間は自分からは見えてない。

つまり、わたし達は常に、目の前の風景は誰しもがこの世界の半分しか認識できていないのです。 

自分自身のことを考えてみても、自分の顔の実物を見ることは誰にもできません。

もちろん鏡に写りはしますけれど、それは実像ではなく反転している「鏡像」としてです。

で、ここで気づかなければいけないのは、

わたし達は、そうした「他者目線」で、初めて自分自身を認識することができるということです。(心理学的にそう言えるのだそうです)

物事の捉え方のスタートライン(赤ちゃんの時)では、まず目の前の事物しか認識できなくて、

成長するにしたがって「他者」の存在という認識が始まり(鏡像認識)、その結果、この世界を他者目線によって認識し始めるというのです。

つまり、他者の目から見た世界を前提にして、世界に従属して生きているということになります。

同時にこの世には、

わたし達が見ることのできない、後ろ側の風景が見えている存在がある

ということに気づく必要があります。(あの、ドゴン族のように・・・)

もう気がつかれたことと思いますが・・・、

そう、「君」、「あなた」(つまり目の前にいる「他者」)という存在です。

そうです。

他者はわたし自身には見ることができない「わたし」そのものを見ている存在です。

「見るもの」(自己)「見られるもの」(他者)それがそこに存在すること、この二つの意識が存在している、ここが肝心。

そしてさらに、

わたし達が生きる「ここ」という空間とは、それらが一体となった全体を意味しています。

このようなものの見方を、わたし達は今までしてきたでしょうか?

これからわたし達の認識は、こうしたモノの見方を身につけることによって、

初めて全体を見渡すことができるようになるのではないでしょうか。

ですので、

今まで限られた視点(前側だけ見てる)でのみ物事を捉えてきたことをそろそろ卒業して、

物事の全体像を見る方法を身につけていきましょう。

こうしたことは歴代の「知の巨人」たちもかつて様々に語られてきていることです。

世界はデュアル(双対性にある)というのですから、

「表」と「裏」「前」と「後ろ」「男」と「女」「明」と「暗」など、

この世のすべての両方を偏らずに見ることができれば、

『心のあらゆる次元に位置を与えることで、心のバランス、健全さ、並行が保たれるには心の無為恣意的な次元をも認識統合されなければならない』ということにも納得することができるでしょう。(『ユング心理学入門』河合隼雄著)

こうした意識の転換をすることで、

今までの物の見方の偏りを修正することが可能となり、

より全体性を、

そしてむしろ、

真実生きることにつながっていきます。

能動性につながる

二つの要素で世界は構成されている』

この考え方は決して新しいものではなく、古代ギリシャ思想、ヘルメス学の文書中に既に見られるものです。

こうした思想については、

わたし自身が自分の名前のことで悩んでいた頃、

各学問の分野を横断的・学際的に遍歴していた頃に出会ったものでした。

上の図を見てください。 この形は、今の医療分野のシンボルともなっています。

2つのエネルギー(蛇に象徴)がお互いに絡み合っているこの図像は、皆さんもきっとご覧になったことがあるはずです。

この世はディアル(双対性:一対が二つセットされている)でできているということにも繋がっていくようなイメージですね。(このことについては、次の「福を呼ぶ新しい視座」に続いていきます。

さてここまでたどり着くと、

今度は、半分のじぶんではなく「生きる」全体性を取り戻すという大きな課題に、どう取り組んでいこうかということになります。

実は先人たちの神話の中に、その世界の見方についてのヒントを見つけることができます。 それが意識を転換する時のカギになっていきます。

そして、意識の転換をすることによって手に入れることができるのは、、、

そう、つまり「能動性」(自らが創造の主体となる)です。

外側にある基準に合わせてじぶん自身を位置づける(他律的、他者依存的、被造性)のではなく、自らの意思によりじぶん自身をこの世界に位置付ける(自律・自立的、創造性)ということ。

今までのように、受け身に甘んじている状態を卒業し、自らがそれを生み出していく状態を生きる方向への転換です。

それでは、「受動性」から「能動性」への意識の転換はどうすれば可能なのでしょう。

これが、

本来のあり方(本質・霊性)を認識する ✖️ 行動する 

=  能動的になる(産みだす主になることができる)

ということに繋がっていくことになります。

かつて、知の哲人はこういいました。

『名を持つということは、存在するということである』と。

その名を手掛かりとして、

「本来のあり方(本質・霊性)はどこに?」という探求を始め、

自らが産みだす者(創造主)となること。

これが「じぶんらしさ」を手にすることへのスタートになりますよ!