じぶんの「最適化」

「最適化への旅」は、つまり「探求」という行動をとること!

人はこの社会の中でいろいろなことと出会い、そしていろいろなプロセスを経て、、、

自分の「ほんとうの名前」へのクエスト(quest:探求という意味での)が始まるのです

ドラクエの目的は、伝説の勇者「ロト」の血を引く勇者として、「竜王」にさらわれた姫を救い出して竜王を倒すこと

幾つかのアイテムを手に入れながら、その目的を達成するというものですが・・・

わたしの(ドラゴン)クエストの目的は、相手を倒して姫を救う・・・ということではなく、

自分の「使命」を発見、理解し、そしてそれを果たす具体的な行動をとること・・・

とはいえ、どのように「行動」することが適切であるのかなど、見当もつきません

でも、その手がかりになるのは・・・

他ならぬ・・・そう、

「名前」の中にあったと気付いたのです

思いもよらないほど自分の身近にあった大切なヒントが、そこにありました

「最適化」するための大切なヒント

汝の立つ所を深く掘れ。そこには泉あり。(マルクス・アウレリウス)

『お前の内を掘れ。掘り続ければ、そこには常にほとばしり出ることができる善の泉がある』(マルクス・アウレリウスー自省録)

そういえば、幸せの「青い鳥」を探しに行ったチルチルとミチルでしたけれど・・・

探していたその「青い鳥」は、はじめから、自分の家のお部屋の中にいたのでしたね?

「青い鳥」を探しに、遠くまで出かけたチルチルとミチルだったが、、、

人は大抵、自分の足下(あしもと)なんかには、たいしたものは埋まっていないと思っているものです

なので、どうしても何かを求めて、外側へ外側へと意識が向かう傾向があります

しかし、灯台下暗し、

素敵なもの、価値あるものは意外や意外、自分の身近なところにあるようです

目を向ける先は、まず「じぶん」です

身近なところにある価値

自分との「関係」をもう一度「最適化」させるのが、あなたの適切なチョイスです。それは一番身近にあるので取り組みやすい方法となります

わたし達は何かに取り組もうとするとき、どうしても外側に目をやりがちになりますが、自分の身の回りを一度注意深く、じっくり観察してみましょう

ひとまず先人達の知恵をお借りすることにして、、、

例えばシュタイナーによれば・・・

「最適化」つまり本質的なありよう(シュタイナーのような言い方をすれば「自由な自己決定により手にいれた本質的な生き方、真のじぶん」)となるために必要なこととは、

Want to 何なにをしたいという衝動(欲望)と、Have to やらなければならないこと(義務:これは自分を律して行う=理性)を統合することだと言うのです。

Have to と言うと、ややもすれば社会常識や規範、慣習からくる、何かをしなければならないという外側にある何か義務のような、じぶん以外から求められる価値の目線を思い浮かべがちです。

例えば、やりたいこと=プロ野球選手になりたい(欲望)ことを実現するためには、地道な練習はしたくない、避けたいということを自分の理性で律して、それを実行していくことで望みを実現することはできますが、

やらなければならないことを無視しては、プロ野球選手などには到底なれません。

なので、Have toということは、誰かから強制されてするものとは異なり、自分で自分のなりたい目標を実現させるために設定することに取り組んでいくその構えのことをいうのです。

そうしたいわば他者の目線を意識して行動や判断をすることではなく、そこを乗り越えたその向こう側(奥行き側)にあるその本質を発見することが必要なのだそうです。

そのためにわたし達が自覚すべきことは、「自分とは何か」つまり、自分自身を知るということだと言っているのです。

自分は何を望み、どこへ行きたいのか、何を実現したいと思っているのか。これは社会的役割という位置が見えやすいわけですが、でも、それは表層的なことにすぎないということが、わたしの年齢になると見え隠れしてきます。

社会的役割を果たしたその先にある本質的なこと、実は経済活動をしている間には隠されていた「本質のじぶん」との邂逅がそこに具現化してきます。

それまでは、半分のじぶんを生きてきたことに気づく瞬間があるのです。

アフリカドゴン族の双子の精霊「ノンモ」像

アフリカのドゴン族の神話では、「ノンモ」というのことが触れられています。

「ノンモ」は大地の創造主「アンマ」から生まれた理想的な存在としての双子の精霊で、その像はとても不思議な姿をしています。

じぶんの前の空間を見ている「視線」

そして背中合わせにして

後ろの空間を見ている「視線」

この2体で対となった姿、これが理想の姿だというのです。

常識的な判断では、何だか妙なスタイルです。

でも、よく考えてみると

わたし達は通常のこととして前側の視線しか意識できません。

その意味で、後ろの風景を自覚せずに過ごしているわけです。(かろうじて反転した世界にはなりますが、鏡に映る後ろの世界は見ることができますが、これは実像ではありません)

今回の新型コロナウイルスのことで、わたし達はとても「空間」というものを意識せざるを得ない状況を過ごしました。(ソーシャルディスタンスを含め)

後ろ向きのノンモ像は、すなわち、他者の視線を思わせます。じぶんでは決して見ることのできない世界を、他者からの視線は提供してくれます。(つまり、鏡に映ったじぶんの背景を見ているような鏡像の世界。世界が反転して見えている。要するに、他者の視線を通して自分自身を見ていることになる。)

この失われた半身を取り戻し、「あるべき理想の姿」(=本質的な「じぶん」)になることが、今のわたし達に求められていることのようです。

その「本質」を取り戻すためのステップは・・・ということが、人類にとっての大きな課題になります。

ですが、社会生活をしながら大きなことには取り組みにくいですが、

まずは「じぶん」の本質を取り戻す(「最適化」する)ことにチャレンジすることから始めてみることはできそうでしょう。

それは、、、

自分の使命をあるいは天命を知ることによって、そうした外側の規範に自分を添わせるそこを乗り越えた先、向こう側(あるいは反転された後ろ側の風景)に横たわっている本質的な課題に到達することが求められている、そのためにすべきことに取り組む必要があるといいます。

『自分だけの課題(=使命・天命)を自分の手で発見し、その課題に取り組むことが、「自由による自己決定」つまり「最適化」への取り組みとなるのです。

これが(これが、Wanto toとHave to を統合することへのプロセスとなり)最終的に「最適化」されたほんまもんの自分自身(=ホールネス:全体性、理想的な姿)を手にいれることになるのだというわけなのです。

物事には、「原理・原則」という力が働いていますから、まず足元、そこからしか次のステップへと進めません

それにしても、何より「自分」を知るというところからが全てがスタートするわけですから、

こうして、しっかりと足元(つまり「じぶん」)を見つめる事によって、

普段見落としてた価値あるものが見つけることをしていきましょう。

だから、まず足下を掘ってみましょう。
きっと、「黄金の泉」がほとばしるほどに湧き出ているはずです

宮古島の下崎の人々の命を守り続けた井戸だが・・・(今では訪れる人もいない)

それは、ほかならぬあなたの奥深くに備わっている「創造性」という泉です

足元を掘ることで、あなたはもう一度それとのつながりを結び直すという事をすることが今のあなたが取り組むことです。

どうやら、人生とはそれの繰り返しのようです

自分軸がふらついて、何をしたらよいか分からなくなったら・・・

何よりも、外に眼差しを送るのではなく、

その矢印は内側へ

つまり「じぶん」自身に向けることなのです。