土用の日

今日は旧暦3月13日の土用

沖縄に住んでいると、旧暦で動くモードが強い

だから、お正月など三回もあったりして・・・

新暦、旧暦、そしてあの世の正月と・・・

そもそも土用とは、

立春(2月4日頃)立夏(5月5日頃)立秋(8月7日頃)立冬(11月7日頃)の前18日間を言います。それぞれ、立春前の「冬の土用」が1月17日頃、立夏前の「春の土用」が4月17日頃、立秋前の「夏の土用」が7月20日頃、立冬前の「秋の土用」が10月20日頃から始まります。その中でも、現在は「夏の土用」の間の丑の日にうなぎを食べる「土用の丑〔うし〕」という行事が有名です。(引用:日本文化いろは事典)

という事です

そういえば、わたしの実家では「うなぎ」は禁忌でした

祖母から「うなぎは食べてはいけない」と言われていたのです

どうやら、祖先がうなぎに助けられたという事がその理由のようでした

実は、実家のある熊谷市の久下という地区一帯には、つぎのような伝説が多く残されているとの事です(以下、『スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語』から引用)

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 《久下では鰻を食べないという禁忌がある。それは三島明神が、鰻が嫌いであるからとか、反対に洪水の時、神が鰻に助けられたからだとかいわれている。》

 《久下の三島神社に祀られている大山祇命が、昔、戦いで敵に攻められて大変困っていた。すると、川の中にいたたくさんの鰻がよってたかって守護してくれたという。そこで、氏子の人たちは鰻を大事にし、食べないようになったという。》

 《昔、久下が大水になった時、大きな鰻がのぼってきた。その鰻が姿を消すと水は一寸一寸次第に引けていった。以後、村人は鰻を神として崇拝するようになった。また、一説に、久下が大水で人々が死にものぐるいでもがいているところへ、突然鰻が現われ、それらの人々を背にのせて、無事陸へ救いあげてくれたという。そこで村人は鰻の恩を忘れずに、神社に祀り、また鰻を食べてはいけないというようになった。》

眷属である鰻に乗る、武装姿の大山祇

 『新編武蔵風土記稿』によれば、江戸時代、三島神社は本山派修験吉祥院の管理下にあり、本地仏として虚空蔵菩薩を祀っていた。

大山祇命の本地が虚空蔵菩薩というのも大いにうなずける。大山祇とは鉱山の神であり、

虚空蔵菩薩もまた妙見菩薩と同様に鉱山に祀られるケースが多いからだ。

そして、その眷属がほかならぬ鰻なのだ。

 大水の際、鰻に助けられたという伝説は、穀物の栽培はすべて水泡に帰したが、

代わりに、荒川の氾濫が運んできた大量の砂鉄で、村人の生活は何とか維持できた、これもみな虚空蔵菩薩の眷属である鰻のおかげだ、ということなのではあるまいか。

虚空蔵菩薩の眷属が何ゆえ鰻なのか、そのあたりの事情ははっきりしないが、毘沙門天と百足との関係から類推すれば、やはり鉱窟ということになるのだろうか。

「鰻の寝床」といえば、「間口が狭くて奥行きの深い建物」(『広辞苑』)のことをいい、それは鉱窟の構造と似ていなくもない。

あるいは、鰻は古くムナギと呼ばれていたというから、無無き(むなき)で、無は虚空を意味するからだろうか。それとも、「山芋が鰻になる」のことわざ(物の変化の定めないことのたとえ)から、鋳物が鰻になったと考えたからだろうか。

参考文献
『埼玉の神社』
『新編武蔵風土記稿』
『大里郡神社誌』(国書刊行會)
『埼玉県伝説集成』(韮塚一三郎 北辰図書)  

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そういえば、わたしの祖父は「自分は鍛冶屋だ」と言っていたのを聞いた事がある

実際に、日東製粉という会社で製粉機の機械を修理していたらしい

今となっては、何がどう鍛冶屋であったのかを知る術もないけれど、製鉄との関係もうかがわせる

・・・と、先祖からつなげられた「何か」を考えざるを得ない事が多いのだ

勝手に想像すると・・・「山芋が鰻になる」のことわざのごとく「錬金術」となるが・・・

それに、

数年前、宮古島のカンカカリヤー(神人)から言われて、四国・大三島の大山祇神社へ参拝した事もあった

大山祇大神は、

磐長姫と木花咲耶姫のお父さんなのだけれど

戦いの神とも言われていて、宝物館には歴史上の人物たちが、戦勝記念として沢山の刀や武具が奉納されていた

この事からも、鍛冶との関係も否めないですよね

言い伝えというのは、なかなかに侮れない

ほそーく、ほそーく何らかの縁が感じられる今日の土用の日

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