『あなた自身を地球上の魂と
考えて、あなたの使命と
どのような方法で、
ひとりの人間が世界を
より佳くできる
と思いますか?』
この問いかけに・・・
わたしは、こうお答えします。
「名前のKOTODAMA(言霊)」
×
「文字」
=「真実のじぶん発見」
それは、あなた自身の成長や豊かさを手に入れていただきながら、
人類全体の精神進化に貢献することを意味しています。
わたしは、
「名前のKOTODAMA」(名前を持つ意味=音の波動)
×
「文字」(=現実/方向性)
とが交差する部分を、
あなた自身を生み出している「本質」を顕現させる力が孕まれ、
精神的個の表れのカタチとしてじぶんの真実(霊性・霊我)が生起する「トコロ」と捉えています。
要するに、
そこには、名前に託された「霊性(真実のじぶんの姿)」が潜んでおり、
それは、
=Awake(意識を変える/気づく)
=霊我の発見
=真実のじぶん開花
になるということです。
そのように「名前」とは、いのちを生み出す事ができる大きな働きなのです。
それは、この世界への能動的な関わりの始まりを知るきっかけになるということになります。
なによりも、それは祈り(生宣り)にも似ていて、
美しく能動的な行為として、これからもあなたが成長していく(じぶん育て)プロセスへの糸口となります。
「ことあやね」のできること。
それは、
「名前のKOTODAMA」を手がかりとして、
占いともカウンセリングとも異なる視点から発せられたことば(=KOTODAMA)が、
「言薬®️ーKOTOGUSURI」となってあなたをサポートすること。
それは、KOTODAMAの持つ、祈りにも似た力となってあなたに届けられ、あなたの進化、成長をサポートすることとなるでしょう。
「意識が変われば
世界は変わる」
と言われる今だからこそ、「いのち」や「生きる」あるいは「意識」という言葉をキーワードに、
きちんと「じぶん自身」をもう一度考えてみる(気づく→目覚める→そして成長する)必要があると思うのです。
社会に適応している「じぶん」が真実の「じぶん」なのか、、、。
もしこの世界への認識が、社会からあるいは親、その他いくつもの既成の価値観により刷り込まれているものなのだとしたら、
もしかしたら、真実のじぶんそのものを見ていないのかもしれないのですから。
今、求められること、
それは、、、
じぶんを出発点とした内側から沸き立つような行動や、意味を自ら生み出す(能動的に生きる=自らが創造的な側の意識に立つ)こと。
つまり、今までとは異なる動機に基づいた行動様式を生み出す存在へと、
自己変革することです。
本来的な在りようである<しんじつの姿>から湧き出るような行動をしてみる、
どの立ち位置(視座・認識)で見るかによって、
あるいは、
現在をどの位置から見れば、それが真実に繋がっていくのかを知ること、
そしてそれに基づいた能動的な動機によって行動できるようになることが重要です。
その結果、
全てを全く異なった風景として、目の前の風景を捉えることができるような、そんなじぶんの成長/精神の進化/霊我のめざめを指向するじぶんになるということです。
ただし、
今はそれらが全て潜在化していて、人間の前には一時的に姿を現してはいるものの、
実は深い次元に真実の姿は沈められてしまっているのです。
わたし達は瞬間的にそれらを発見することはあったとしても、しっかりとそれを捉えることができないでいるのです。
それでは、わたし達は一体どうしたらよいでしょうか?
そこで確認する必要があることは、
まず、この世界がどのように成立しているのかを識るということです。
そう、
この世界の捉え方、そしてそこを認識する「意識」を今一度捉え直し、
じぶんのあるべき姿として生きていくために、それをアップデートすることが必要なのです。
意識をどう変えるのか、
じぶんを
どう成長させるのか?
じぶん自身が目の前にある世界を生み出していることに、気づきましょう。
まずそれからです。
加えていうなら、そして誰でもが取り組むことができること、
そう、
何度も繰り返しますが、深く深く自分自身を直視して、それをどう意識化するのかということです。
あんちょくに物事の変化を狙うのではありません。それは時として苦しいこともあるでしょう。そこにチャレンジするということこそが尊く、意味があり、それが「生きる」ということなのです。
だからこそ、Far-out beyond そう、『もっと遠くへ』(寺山修司)なのです。
ところで、
「命(いのち)」は、「みこと」とも読みます。
中国語では、同じ音であることは同じ意味を持っているそうです。
中国にはたくさんの図像があって、その図像に託されたその「音」に意味があることから、そのご利益に預かろうというもののようなものです。
「みこと」の「み」は、持続することであり、
満たされていることでもあります。
それは「実る」ことですし、まだ現れていないもの「未」でもあるということだそうです。
「まだまだいける!」
「もっと精神の進化を遂げていきたい、成長していきたい」
こんな人生を歩む方向にじぶんを運び続けましょう。
今までのようにただ受け取るだけの人生(受動的)から、
何かを生み出していく人生(能動的)、
つまり創造的な人生を手に入れていきましょう。
先人たちは次のように言います。
『されば、今日をよく生きよ!』
今日この日を見よ、
それこそが人生、
人生の素晴らしいものの束の間
ずっと現実と真実がある
成長の喜び、
行動の輝き、力の栄光
しかし今日この日を
よく生きれば、
全ての昨日は
幸福な記憶となり、
すべての明日は
希望の後継となる
また、かのC・G・ユングの言葉を借りるならー
『・・・もしこの世の中をより良い場所にしたいなら、まず我が家から、自分の心の庭から始めなければいけない・・・』
そう、なにより「じぶん」が出発の重要なポイントとなるのかもしれません。
視点を、はるか未来や他の次元などのあらぬ方向に注ぐのではなく、
なによりまず、足元へです。
あなたにとって、もしかしたらもしかしたらこのやり方は、遠回りに見えるかも知れません。
でも、わたしはあなたに伝えたいのです。
何れにしても、
目の前に繰り広げられる現実を曇りのない眼でしっかり見ることができる自分に成長する(目覚める=Awake)ことが求められているのですから!(そのためには、その曇りをぬぐわなくてはね!だからAwakeなのです)
その先にこそ、
あなたが手にしたい、豊かさに満たされて、乗り越えたその先の世界が、、、
自然(じねん・Physis)とつながる世界が、、、
さらに、
大きく広がる宇宙へも導かれていく道筋が見えてくることでしょう。
あなたのそうした霊性の進化(霊性開花・精神的個)のお手伝いをするために、
占いともカウンセリングとも異なる方法「言薬®️ーKOTOGUSURI」(発せられた「ことば」:KOTODAMAに宿る力)によって、
「ことあやね」は、
あなたの真実の姿への霊的成長を促す「じぶん開花」へのプロセスをサポートいたします。
「ことあやね」
の立ち位置は?
「ことあやね」とは、
天児屋命(あめのこやねの
みこと)にちなんでいます
*天児屋命(あめのこやねのみこと)の「コヤネ」とは「小さな屋根(の建物)」または「言綾根(ことあやね)」の意味です。これは「天上界の小屋根(託宣の神の居所)」、または「祝詞を美しく奏上すること」と考えられています。(Wikipedia)
*「言霊(ことだま)」「音(おとだま)」に関しては、基本的に「言霊学」(言霊学会)および、一部「カタカムナ」(楢崎皐月氏『カタカムのウタヒ』)、「言霊鏡」 (光輝書法会)などを参考にしつつ、わたしの体験と独自の視点に拠っております。
*「名前」に関しては、哲学者ヴァルター・ベンヤミンの知見を参考にしつつ、わたし独自の認識に基づいてお伝えしております。
わたしは生涯のテーマとして「祈りとはなにか」を探究しています。
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*「ことあやね」は一切の宗教、
政治、団体とは関係なく、また
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