『あなた自身を地球上の魂と考えて、 あなたの使命とどのような方法で、 ひとりの人間が世界をより佳くできると思いますか?』
この問いかけに・・・
わたしは
「名前」×「文字」
という方法で応えます。
大いなるものに生かされ日々を営みながら、次世代へとつなぎ、
感謝と未来の安寧と幸福を願う祈りを言葉に込めてことほぐ。
その「想い」を、「音」(の持つ波動=力)に託し、
「文字」というカタチ(=方向性)に落とし込むと、
そこに「本質」に触れる力が孕まれ、
あなたそのものが産み出されることとなる。
それがこの世界への関わりの始まりとなるということなのです。
次に、その「カタチ」つまり物事をどのように捉えて行ったら良いのかについてを考えて見ることにしましょう。
「意識が変われば世界は変わる」

21世紀は「いのちの時代」
と言われる今だからこそ、
「いのち」や「生きる」、あるいは「認識」という言葉をキーワードにして、一度きちんと「生きること」そのものを捉え直す必要があると思うのです。
何が今求められているかというと、
自らを起点とした内発的な行動や価値を生み出す(能動的に生きる=自らが創造主となる)こと、そして、それが今までとは異なる行動様式を生み出すことです。
つまり、本来的な在りようそのものの真実の姿を捉え直して、世界をもう一度見つめ直してみるということ。
どの立ち位置(視座・認識)でこの世を見るかによって、
あるいは、この世をどの位置から見ることが真実となるのか、そして、その結果物事を全く異なった風景として見ることができるようになるのか、、、なのです。
自分の意識が変われば、世界そのものも変化します。
第一、意識そのものの位置を再認識する必要があります。
そう、
要するに「意識に対する認識の転換」です。
ややもすれば外部の世界に向けて遠く夢見がちな自分自身を律して、目の前に繰り広げられる事象をしっかり見ていくこと、
それはつまり外側へ向きがちな意識をくるりと転換してそれを内面に向けましょう。
まずはそれからです。
何よりも大切なことは、深く深く自分自身そのものを見つめ直すことです。
第一「(命)いのち」は、読み方によれば
「みこと」です。
中国語では、同じ音であることは同じ意味を持っているそうです。
その「音」に意味を委ね、そのご利益に預かろうというもののようです。
「みこと」の「み」は、持続することであり、
満ちることでもあります。
何より「実る」ことでもあって、
まだ現れていないもの「未」でもあるということのようです。
「まだまだやれる!」そんな人生を歩むに当たって、
受け取るだけの人生(受動的)から、生み出す人生(能動的)を手にしましょう。
先人達は次のように言います。
『されば、今日をよく生きよ!』
今日この日を見よ、
それこそが人生、人生の最良のもの
その束の間にあらゆる現実と真実がある
成長の喜び、
行動の輝き、
力の栄光。
昨日は記憶にすぎず、
明日は空想にすぎぬ。
だが今日をよく生きれば全ての昨日は幸福な記憶となり、
すべての明日は希望の後継となる。
されば、今日この日をよく生きよ。
「サンスクリットの讃歌」
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だから・・・
かの分析心理学者である
C・G・ユングの言葉を借りるならーー
『・・・もしこの世の中をより良い場所にしたいなら、 まず、我が家から、自分自身の心の庭から始めなければならない・・・』
と言う事が重要なポイントとなるのかもしれません。
視線をはるか未来や他の次元などの、
あらぬ方向に注ぐのではなく、ともかく足元です。
このやり方は、もしかしたら遠回りに見えるかもしれませんが
まずは、
目の前に繰り広げられる現実からしっかり見ていくことにしましょう!