「名前の秘密」わたしバージョン

この世で最初の
プレゼント

誰もがこの世に生まれて、最初にもらう、一番大きなプレゼント

それは、「名前」。

それ一つを取ってもわかるように、

わたし達の住む世界は・・・

与えられることによって始まっていると言えます。

人間は、このようにして「与えられた」世界で様々なことを感じながら生きていますので、

その意味で、人間が生きるということは受動的な世界から始まるということとが言えましょう。

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少し遠回りな話になるのですが・・・ある作家が、次のように「命」のことをお話しされています

「自分の命は、自分の持ち物ではない」 

つまり天からの借り物なのだ・・・と。

借り物ですから、その借り賃をお払いしなければなりませんが、

しかも天は、お金では受け取ってはくれないというのです。

では、、、 何であれば受け取ってくるのでしょうか? 

それは、その人が自分の体を使って何かをすること、

つまり、行動でしか支払う(働きかけ、能動的)ことができないのだというのです。 

だとすれば、 どんなことが行動となるのでしょう?

実はそれは、

誰かを幸せにすることなのだそうです。

それにしても、「誰か」とは一体誰のことを指すのだろうかと不安にもなりますよね。

でも、ご安心ください。

どうやら全ての人をでもなさそうです。

一番身近な好きな人でもいいし、

それがたったひとりだったとしても、幸せにすることができれば それでいいのだそうです。     (著作家中谷彰宏さんの講演から)

では、どのようにすればその「能動性」を手に入れることができるのでしょうか? 

どうやら、能動的になるためのヒントがあなたの「名」に隠されていることに気づくことから始まるようなのです。

じぶんの名が
好きになれなかった
わたし

実のところ、わたしは自分の名前が大嫌いでした。

ただ・・・、

一生付いて回るのが、この「名前」です。 

 

ですからなんとか好きになりたかったのです。

そんなことからわたしは、

自分の名前の探求の旅に出ざるをえませんでした。

と言っても、、、

どこかへ旅行に行くとか、そんなことではありません。

そもそも、なぜ自分の名前が嫌いだったのかといいますと、

まず、全部ひらがなでしたから古色蒼然としていましたし、

第一、その名前のことで小さい頃はからかわれたり、皮肉られていたり、それに先生も、はたまた親からも「しづえ」の表記を「づ」ではなく「ず」と間違われていたことも多かったからです。(笑)

(笑い話なのですが、実は今でもよく間違えられます。最高の間違われ方は、「みずのしづえ」と自己紹介しても「しみずみづえ」となってしまうことがとっても多いんです。(因みに銀行関係で多いのは、水野→清水、あるいは→永野)

それに、その名前の音からイメージされる大人しげな静かな女の子ではなく、実際はむしろその逆で、屈託なく振る舞い快活なタイプでした。(通知表に「天衣無縫」と記されていたことも覚えています)  

わたし以外の人が、名前の「音」から描いた勝手なイメージとわたし自身が抱く自己イメージとのギャップに、大いに戸惑っていたというのがほんとうのところでしょうか?        

それに加え、なんと、わたしの名前は両親が自分たちでつけたのではなく、

産土神社である熊谷市の高木神社(ご祭神は高皇産霊)ご神木

わたしの「産土神社」から頂いてきたものです。(昔はそのようなことが多かったとしても)

なので、

名付けを神社に依頼したということからくる親への不信感を払拭することや、

どんな意味が込められているのかを、 自分なりに納得するしか方法がありません。

ある時、この産土神社であるこの高城神社の宮司さんにお会いして、名前の由来を確かめようとしたこともありました。

当然といえば当然な話なのですが、時間も随分と経っていましたから、 当時の宮司さんは既に存命ではなく、

また現職の宮司さんも「名前の由来までは、、、」と、お答えいただくことはできませんでした。
偶然が連れてきた
転機

ある時のことでした。

ワープロってこんな感じのマシーンでした
まだパソコンというものがなかった時代でしたが、
公的機関において、相談支援に関わる仕事をしていたわたしが、
その事例の定期面談の時の記録をワープロ(当時はまだワープロでした)入力していた時のことです。
文末にその記録の文責者である自分の名前を入力して「ポン!」と漢字変換した時に、最初に変換されて出てきた文字が、
なんと!
「死杖」(しづえ)という文字だったのです。
それにしてもこの文字だけからすれば、これはなんともショッキングですよね。
だって、、、ね、
連想されるイメージは「死」、
「三途の河原」ですから、、。(汗)

でも、

瞬間的に

「ピンポーン!」と脳みそが素早く反応したことを今でも覚えています。

「これだ〜!」と。

わたしは、瞬時に自分の名前の持つ意味が「ストン!」と腑に落ちて、

この瞬間から、

わたしは自分に与えられた名前をとても好きに思えるようになっていました。(人間って、なるほど!と腑に落ちさえすれば理解は早いものです。)

「そうよ!これを自分の人生で取り組めばいいんだわ!」ってね

そう素直に思えた、わたしの能動性の発動のその時そのものでした。

本来のあり方を認識する ✖️ 行動する

=じぶんらしく動ける(能動的になる)

それに、思い起こせばこの名前は産土神社からいただいた名前でした。

となると、つまりこれは「天が与えてくれた名前」であるということになります(なんでこんなシンプルな事に気づかなかったのかしら!!)

名前(氏名)→ 天与(わたしの場合産土神社から頂いた)

=  天命

つまり「使命」(Calling)

なのではないか!

まさに、じぶんの名が好きになった瞬間でした。

「杖を巡る旅に出る」
ひとまず「名前」に対する納得感を得たわたしは、
そこからさらに、

「杖」をめぐる探求の旅スタートさせました。

杖の民俗学」をはじめとする文献研究など学際分野を横断しつつ・・・。

(何かを調べたり追求していくの、、、わたし、結構好きなんです。)

そして、調べれば調べるほど・・・
それはわたしに託されたことの本質(だと確信していますが)は、人類学的にも、民俗学的にも、図像学的にも、ヴァルター・ベンヤミンの言語論のように、
とんでもなく重層な意味合いを込められていることに気づかされていったのです。
以下の画像を見てください!
こんなにも、
「杖」(笏)を持った歴史上の人物が、、、!
エジプトのファラオ像 
空也上人 
エリザベス2世戴冠式

  

黙示録の獣
聖書「出エジプト記」
天照大神の「御杖代」となった倭姫は、各地を巡り伊勢の地へとたどりつかれた
何より、
こうしたこととの出会いは、
わたし自身の、
それこそ「自信」へと変わっていくことになったのでした。
わたし自身の本質に出会ったからです。
「これがわたしだ!」と。
まさに、「じぶん開花」したというわけです。
たどり着いた先

自分自身の「核」に触れるこうしたプロセスは、

「わたしがわたしになる」

つまり、「じぶん開花」することをことを示しているようなものでした。
ところで、「死杖」を諸々調べていくうちに、
京都には奈良時代を初源とする「死杖(しづえ)の祭り」というものがあることもわかりました。
刑死人の追善供養として、
毎年8月に行われていた「活速祭(いきはやの祭り)」と言われるものです。
以下資料を引用しますと、、、

『奈良時代以降、刑死人の供養(くよう)のために営まれた神事 「死杖(しづえ)祭」ともいう。

京都・猪熊(いのくま)三条南にあった褐速(かちはや)神社において、

刑部(ぎょうぶ)省で死罪となった刑死人の冥福(めいふく)を祈るために、毎年8月に行われ、踊念仏などさまざまな鎮魂の儀が催された。

都・千本の引接(いんじょう)寺や壬生(みぶ)の地蔵寺の念仏会(ねんぶつえ)は、

この祭りを受け継いでいるといわれている。[佐々木勝氏の記述を引用]』

左の写真は、『壬生狂言』と言われる御奉納の演舞です。

願い事を書いた「焙烙(ほうろく)」が高々と積み上げられているのを、次々とはらいおとし、

それが粉々に割りちられることで厄払い(「厄除けほうらく」)をします。

ところで、実際の刑場はもう少し南の地だったようですが、それは特定はされておらず多様な仮説による推測の域を出ていないようです。

ただ、妙なご縁なのですが、

わたしがかつて53歳の時に遊学のために京都へと移動した際、

一時的に借りたマンションが、

まさにこの猪熊三条上ルという場所なのでした。

なんと!上記の「活速神社」がかつてあったと推測されているところの直ぐ近くだったのです。(なんという偶然の引合せ!)

しかも、よくよく調べてみたところ、
「杖」にはこんな側面もありました。
伊勢神宮のある伊勢市では、
毎年、数え年80歳の市民に、
ご長寿を願う「延寿杖」という杖を授与しているのだそうです。
それに、
式年遷宮など神宮の重要な行事ごとの「杖」は重要な役割を持っているとか。
なんとも嬉しい話ではありませんか!
だって、お伊勢さんでの重要アイテムとなれば、、、ねぇ!
このように、
「杖」というものが持つ象徴性の示すところは、
どうやら「神ごと」「王位」「司祭者」「聖職者」などが込められているというのですから・・・。
伊勢神宮の祭主として「斎王」姿の黒田清子さん
となれば、
そうした意味の込められた「名前」を意識しない訳にはいきませんよね。

これが「与えられた名前」からその「意味」を発見し(「受動性」*Take)
それに「なる」という意識を持ち、その「名前を生きよう」として、他者と関わる(「能動性」*Give)ことに位置を変換する行動をとる。
つまり、

わたしの片方の真実「主体(見失っていた霊性としての)」を、じぶんの「名」の中に発見したという訳なのです。

それは、、、
じぶん自身の片方の本質(=霊性)を取り戻そうと認識し、
それまでただただ受け取ることに甘んじていたことから意識を反転して、

自ら行動する(能動性を発揮する)ことを意識し、
そこへと移行(反転)するという、
大いなる転換を促す出来事だったのでした。

とはいえ・・・

それでも、まだ疑問は残ります・・・
では、具体的にこの世界で何を方法(手掛かり)としてそれに取り組んだら良いのかしら?と。
こうして、「名前のKOTODAMA」をめぐる探求は続いていったのでした。