「生きる」ことの眼差し

人生はTakeから始まっている!

わたし達は生まれてきた時すでに、

この世界からあらゆるものをTakeつまり得る(受動性)ということからスタートしています。

よくGive and Takeという言い方がされます。それは、まず「Give(与えよ)」それから「Take(得なさい)」 ということのようです。

でも実のところ生まれた瞬間からわたし達はすでに多くのものを手に入れています

つまり、「Give and Take 」の順ではなく、

生まれた瞬間から既にTakeの状態になっていて、それが先行しているのです。(一番最初のそれは「名(前)」。「名(前)」は自分でつけたわけではないですよね!)

もともとTake の語源は、ゲルマン語系の古代英語(OE)の tacan という語で、「握る、つかむ」という意味なのだそうです。

つまり Take という言葉に対してネイティブ・スピーカーが持っている基本イメージは「握る、つかむ」だということがわかります。

つまり、

わたし達は何もないところに生まれ出ているわけではなくて、

既に全てが差し出されている(与えられている)環境であるこの世界に生を受けているというわけです。

(つまり、自らが全てを生み出しているわけではないということを意味します=自分は創造主にあらず)

要するに、Takeが先でわたし達の生はスタートしていることは間違いありません。(これを受動性としておきましょう)

ですのでそれをどう生かし、また活用して、どのように生きていくか、

つまり、

この世にどう働きかけるのかということが、この人生を生きる責任としてあります。 (これを能動性としておきましょう=自分が創造主となる=人生の中で自分のクリエイティビティーを発揮する)

現実にはすでにすべてを手にしていることを忘れ去って生きているのが、わたし達です。

要するに、最初の問いである

『生きるということを通してこの世界にどのように関わり、どのように世界をより佳くしていくのか』

という大きな課題は、

わたし達が生きることを通して取り組むという使命に直結しています。(もらっているばかりでは、、、)

でも、わたし達はいつも手に入れる(Take、あるいは In putする)コトばかりを考えているのが大方ではないでしょうか?(わたしもずっとそうでした)

「Take」(受動性) から 「Give」(能動性) へ反転

もし今日をよく生きようとするならば、

いただいているモノ、あるいはコトに対して、

つまり自分の置かれた環境に対して、

何らかのお返し(感謝、新価値を産み出すなど、与えること)としてのアクションを起こすことでバランス(をとって±0にする)を取ることができれば

ただただ与えられている関係から卒業して、相互の関係は対等になるというわけです。これが、これまでの負荷の関係をひっくり返した(等価)事になります。(これを二宮尊徳翁は『報徳』と言っています)

今こそ、

そうするタイミング(時代・次元)です。

時代は変化しています。

この時空も明らかにシフトしています。

人間の歴史において、近代以降の自然科学は「もの」の世界の理解を促進したという意味では、大きな発展を遂げてきています。

それは否定しようがないでしょう。

確かにそうしたことの恩恵にわたし達はどっぷりと浸かり、

それを「幸せ」や「豊かさ」としてきました。

でも・・・、

いくら取り巻く社会が発展したところで、わたし達が心から幸せと思える風景を見ているかというと、どうもそうでもなさそうです。

つまり、ものの世界にどっぷりとつかった世界観からは、それらが持つ本質的な意味を見いだすことはできそうにもないのでは?という気配が心の奥底にあるからこそ、

何か空気感として物足りなさを漂わせているということにつながっていそうです。

確かに、「あれでもないこれでもない、、、何かわからないけれど何か違うような気がする」という感じは、誰もが一度くらいは体験していることでしょう。

だからこそ、たくさんの資産を持ちながらいまひとつ満足できずに人生を憂いているリッチパーソンズも多いこと、

何をしても満足できるポイントには到達できない感じがすることや、

たくさんのセミナーに通いながらも、何一つモノにならなず、セミナーなどのはしごを繰り返しているという現実に、あなたも薄々気づいているのではないかと思います。

その物足りなさはどこから来ているのでしょう。

それは、因果律ということではなく、何かじぶんの行動の歯車がかみ合わないことをしているのではないかというズレ感や、

認めたくないけれど、その奥底にあるマイナス感情「なぜあなたではなくわたしなの?」)という不平・不満感。

それは、ただただ与えらることに甘んじている自分でしかないということに、薄々気づきながらも、見ないふりをしているだけです。

だから、それをどのように捉えているのか、そのこと自体に気づく必要があります。

わたし達に身についてしまっている過去から継続されてきた「認識様式」縛られたままこの世界を見ている(ものの見方が歪められている)からではないですか?

その「支配」や「思い込み」に気づき、しっかりと自覚しない限り、

わたし達は自分らしく(自分自身を)生きることなどできるわけもありません。

「思い込み」や「支配」から脱出しよう

あなたがより実感を持って「生きること」(しかも、あなたらしくを手にするためには

物事を適切に捉えるための適切なメガネ(視座)が必要です。

今までの適切でない考え方(これは、誰かによる支配のせいや時代の歴史的価値観などなのですから、あなたのせいではないのです)に気づき

新しい視座(認識や見方)を手に入れる必要があります。

そこで、わたし達がそう生きるために必要なのは、

一次的な感情や情緒などではなく、実は、

「確かな知性」(認識)なのです。

まさにそれが、「風の時代」となった今、

「高次元の知性」を手に入れる所以です。

それを手にすることによって、意識の進化そのものとなる、、、と言えますし、わたし達の「視座」は、より高次元へとブラッシュアップしていくことになります。

つまり洗練といいますかワンランクアップです。

では、

そのために何をしたらよいのでしょうか。