「文字」のお話

「文字」の力

わたしは京都在住の折に、実家の菩提寺のご縁で、「祈りの文字」を家業として伝えてこられた篆書・篆刻道家元との出会いがありました

江戸時代初期の奈良絵本『たまものまへ』より、算木で占いを行う陰陽師の画。(京都大学附属図書館所蔵)

それが、菅家七家の一つである塩小路篆刻道・篆書道38代家元塩小路光孚先生です。

そしてそこに伝えられているのが、塩小路篆刻・篆書道の「篆書・篆刻」です。

塩小路家に伝わる篆書は、もっぱら宮中における儀礼に用いられてきた重要なものだそうです。

菅原道眞公の末裔である菅家七家の一つである塩小路家は、遣唐使として空海らと共に唐に渡り,その後、唐から持ち帰った「漢字」を整備して、初代から三代にかけてそれを体系化したと言われていて、

その「文字(篆書)」を駆使して、土地を鎮めたり、一家の繁栄を願ったり、氣を取り込んだり、節会の行事、あるいは国の安寧を祈る方法とされていて、天皇の諸行事における祓いなどの作法についてについても、この「文字」を通じてご参与されてきたお家柄なのだそうです。

「伝えられてきた先人たちの想い」

 

「魚」<TENSYO>

宮中において、あるいは公家たちが諸々を天地の神々に祈願する際に、この塩小路家の「篆書」が用いられてきていたとのことで、

何代にもわたって継承してきた家元家に伝えらてきた「篆書・篆刻」は、

古(いにしえ)から呪術として機能していた「祈りの道具」なのでした。

 

細かな説明は省きますが、見えない力であるこの自然界のエネルギーを手に入れようとした先人たちの想いが、このように「文字のカタチ」となって昇華されてきた公家文化が、

今でもこのように一部継承されてきているということを、ぜひ知っていただきたいと思います。

ちなみに2005年に開催された「愛・地球博」の際に、会場内に掲示された「愛」の文字は家元の手によるものだったとのこと。

開催当初は入場者の見込み数が伸びなかったことから、家元が「愛」を揮毫することで改善を図ろうというご縁を得てとのことでした。

その後入場者数が増加したとの逸話も残っているそうです。

(これらのお話はすべてお家元からじかにお聞きしています)

京都御苑の茶室で、お家元ご夫妻(共に故人)らと共に
<第38代塩小路篆刻・篆書どう家元 塩小路光孚氏のご紹介>

菅原道真(845~903年)の三十八代目の直系の子孫(故人)。菅家塩小路篆刻道、菅家塩小路流書道、菅家塩小路流文道の家元として、日本ばかりでなく海外でも活躍。この流儀は、菅家七家の一である塩小路の家で千百年にわたり伝えてきたもので、門外不出の秘事とされてきた。しかし、このままでは、日本の伝統、芸術、文化が衰退し、子孫に伝えられることもなく、消えてしまうことを憂いて、塩小路篆刻道、書道、文道を公開した。国内外で展覧会、講演会を開催し、NHKテレビほか、各局のテレビ、ラジオに出演。 菅家塩小路篆刻道、菅家塩小路流書道、菅家塩小路流文道家元。(家元の著書より引用)