「名前」この不思議なモノ

「名前」を哲学してみる・・・

「名前」

これほどわたし達の住む世界に溢れていながら、とても不思議なものはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

周りを見渡せばすべてのモノには名前が付けられているし、この世界は実にたくさんのモノに満ちていて、

世界のどこまで行っても、名前のないものはないほどです。

しかし、

名前というものは、それが何であるかを指し示すばかりでなく言葉自体を超えた深淵を覗き込ませる不思議なもので、

しかも、目の前に見ているそのものが「何であるのか」を語ろうとするととても難しいとも言います。

「名前」はそれが名指すものとされてはいますが、名前はたった一人しかいないその人を認識させてくれるのであるから、

名前とそれが指し示すモノ(名前はモノじゃないけれど)の関係が深いと言えます。

平安貴族達は、自分の本名を他者に明かすことをタブー視していたと言います。特に、女性は自分の名前をいう時は、相手を自分の夫にしても良いというときだけそれを口にしたそうです。

自分の本名を他人に知られ、その名前で呼ばれると、他人に自分の魂を奪われ、完全に支配されてしまうと考えられてきたとのことで、

このように「名前」は当人に最も近いものであって、その人のアイデンティティ(自己同一性)の本質的な部分をなしていると言えます。

一方で、名前は当人に最も「遠いもの」でもあります。

人名はたとえ実際に同じ名前の人が何人いようとも、本質的には世界中でただ一人を名指す言葉であり、その人の独占物です。

自分の名前は必ず他人から貰い受けなければならないし、名前は自分を名指すはずなのに、自分自身は子どもでない限り自分のことでそれを使うことはないですよね。

つまり、自分の名前はもっぱら「他者」によって飲み使われるための言葉と言えます。

「名前」だけが言葉を超えた深淵を覗き込ませてくれる摩訶不思議なものです。

(参考文献:名前の哲学:村岡晋一著 講談社選書メチエ719)