「ろうそく立て」がやってきた!

お隣の84歳のおばあちゃんは、現役のインテリアショップ店主。

正確に言えば、90歳のおじいちゃんと一緒に経営しているのだけれど、

おじいちゃんはいよいよ耳も遠くなったし、

こんな時代だからスペースを貸そうかと思っているというのだ。

そこで、お店にある手持ち家具の一群を一人で片付けるのにすごく大変だし、貸すには家具が多すぎるし、コマッタコマッタとしきりにつぶやく。

一時は売れ行きの良い(!)高級インテリアショップだったようだけれど、さすがに左近のROHASスタイルには勝てず(?)重厚なイタリア家具やらプリティーなカントリー風家具、それに籐家具などはお蔵入りとなるようだ。

おばあちゃんは何を思ったか、

「ここの雰囲気にあると思うし、、、」と、立派なironのローソク立て、いえ、いえ、キャンドルスタンドを持ってきてくださった。

この空間を見た友達は言うのだ、

「なんか、怪しの儀式ができそうね」と。

ならば、一層の事そうでもしてみようか、、、なーーんて思っちゃったりして。

魔女になりたいわたし。(実はもう魔女かもね)

自然と共に過ごす

奥の庭にあるキーツマンゴーは、この琉球古民家の大家さんのおじいちゃんが以前に植えたということで、幹の太さは大人がひと抱えできないほどのものです。

今年、生い茂った枝々を剪定したら、、、

それに応えるようにして、

初めて実をつけてくれました。

働きかけに対してこんな風に応えてくれる、

自然の方がよほど正直で信ずるに値するお相手だわ、、、。

うむ2

昨日から「うむ」を考えている。

「有無」

「産む」

「生む」

どれもが不思議な音感だ。

 

 

わたしは日々、

一体、何をうみだしているのだろうか?

「生」

「聖」

「性」(これはないな)

「正」

「成」

そして

「静」

?????

同じ音だけれど、みんな違う

中国では「音」が同じならば、意味も同じように扱うらしい。

今日の「うむ」は、どんなだったろう。

評価は今夜の夢に聞くとしようか・・・。

「うむ(創造)」ってなんだ?を考えてみた

今朝は早くから手ごねのパンを焼いている。

発酵を待つ間に、「うむ(創造)」ってことを考えてみた。

こねている間は、

まるで

自分がこの世の何かを産み出しているような気分になってきている感じ。

この世にあるすべてのものは創られてきたものの、一体、その大元はどこから来たのだろうって、、、

それを考えてみている。

パンの話に戻るけれど、

発酵がすすんだら、手で成形して焼きあげるわけで、

それはまさに、

創造(うむ)だ。

ところで、、、

今の科学ではこの、物がどうやって生まれてきたかをうまく説明できないらしい。

確かに、人間が何かを生み出すことの困難さは、おそらく誰もが感じていると思うし、部品を寄せ集めたところで、人間が作れるなどということは誰も誰も体験などしてきてなどいない。

一体「創造」するってこと、

「うむ」ってこと、

どんなことになっているのだろう、、、

さ、発酵が済んでいるみたいなので、またこの続きはまた・・・。

 

 

トリニティ

新型コロナという突然の自体が

わたし達の

日常にやってきてから、

世界が今までとは全く異なった風景になっている。

一体なぜこんな

ことになっているのか、

メディアはいろいろな説を持ち出して語ってはいるが、

わたしたち(少なくともわたし)は、

なぜ、

今、

こんな事態になっているのかを知りたいわけで、どういう事態なのかを知りたいわけじゃぁなく、、、、、、、。

時代が変わるという言い方よりも、

世界の事態が変わると言った方が良いのではないかとさえ思う。

トリニティ

なんのことを言っているのかと訝しく思われるとは思うのだけれど、

どうやら、

この世の観方、そのものを

変えていく必要もありそうな気配だ。

「物質」、「霊魂」そして「イデア」

いよいよ、

ギリ哲(ギリシャ哲学)の復活か??

なんだか楽しみだわぁ。

今日届いたのは

「贈与経済」というのがこれからの世界を席巻するという。

島の中ではすでに贈与関係が日々展開されているから、今更だけれど、、、

でも、「贈与」というよりもどちらかといえば「交換」かな?

今日もやってきたのは・・・

「友達からもらったケーキだけど・・・」のケーキ一本と、

 

そして、オレンジ色の大きな花弁のハイビスカス。

そうだ、なんとかいうハーブのお茶も届いた。

このところは、

庭にある葉っぱさん達が毎日のように届けられる。

天然自然からの

日々の贈与。

感謝をしてないじぶんを恥じる。

朝の声を聞く

鳥の声

虫の涼やかな声

車の音

風にかすれるマンゴーの葉音

時々落ちてくる木々の葉のかそけき音

その全てが

今日1日の・・・

hibiki

hibiki

年女であるわたしの人生で

いよいよ差し掛かっている最終コーナーの

これからの12年だ。

「いのり」をテーマに

この島までやって来たものの

今は、どこにもたどり着くこともなく

こんな風に最終コーナーに差し掛かってしまった。

それでも

「いのり」を

手から放すこともできずに、こうして手に余している。

なぜわたしから向こう側に去っていかないの?

でも、気づいたの。

「いのり」は向こうから

やってくる

それを捉えることは

わたしの宿命だ。